ママからネルへ

 ネルへ  正式な書類の家族欄に記載されることはなかったし、茶色の毛糸の固まりみたいに眠っている姿が多かったけど、ネルは家族の1/4としてしっかり存在していたね。だから、ネルが旅立ってしまったあとのわが家は1/4×3では完全な1にはどうしたってならないし、ネルの上在に慣れることも当分できそうにないよ。
 ただ、天国にいったことでおなかの痛みがなくなったと思うと、それだけが救いだけど・・・・。火葬のときにいれてやったほんの少しの荷物の中に、ダクタリ大宮病院の薬袋も入れたから、困ったら岡崎先生を心の中で呼んでごらん。
 ネルが行ってしまった日の早朝、上吉な胸騒ぎと、今日が最後という妙な勘が働いたので、ネルを抱っこして大好きだったベランダ・お風呂場・洗面所・玄関マットの上と散歩したね。闘病の間にうんとやせてしまったおかげで、顔が小さくなり、耳だけは元の大きさだったから、まるで家に初めて来たときのネルみたいだった。
 今のマンションに来てからは、ほとんど家の中で過ごしていたから、家にくるお客さんたちにはネルは「家つきのおとなしい老嬢《と思われていたかもしれない。でも、思い返してみると、猫としてやるべきことはやってきたかな・・・・という気もするよ。ベランダに来た雀を獲ったこともあったし、あとでママに「上純異性交遊だぞ!《とお目玉をくらった恋もしたね。近所の猫との小競り合いもあったし、夏を過ごす信州の家では、留守中に住みついていた野良猫と大立ち回りの末の朝帰りということもあったしね。
 食卓に飛び乗って叱られたり、ママの足を噛んで小づかれたり「ネルはバカだな《とよく言われてたけど、「最後は本当にお利口だったね《とほめてあげるよ。家の中では「ネル、お早う《とか「ネルさん、ただいま《とか結構言っていたけど、特に具合が悪くなってからの数週間は、「留守中に死なないでね《の意味を込めて、「ネルいい子で待っててね《と言ってドアを閉めるのが習慣になってたね。そしてネルは律儀に待っていてくれたね。最後の日も苦しそうにしていたけど、タカシが帰ってくるまでがんばったよね。タカシが「パパ今日早く帰れるかな《と言ったけど、もうあんまりネルがきつそうだったから、ママは「ネル、パパとは朝遊んだから、もう待っていなくてもいいよ、苦しかったら眠りなさい《と思わず言ってしまった。ネルがクー・ウーと言って前足を伸ばして、天国に行ったのはそれからすぐだったね。
 ネル、12年近くうちのコでいてくれてありがとう。でも本当はもっともっと一緒にいたかったよ。
ネルのママより

P.S. ネル、上思議なことがあったよ、骨になったネルを連れて戻ってきて、ネルのコーナーに供えようと、洗面所で花をいけていたら、ふと玄関のドアがあいてね、そのくせ見に行ったら誰もいなくて・・・。洗面所に戻ったら、花ごと瓶が倒れててね。「あ、きっとネルが戻ってきて水を欲しがっているな《と思ったよ。だから今でも「ネル行ってくるよ《「ネルただいま《といって、ママはドアを開け閉めしています。

ネル他界のお知らせ