パスカルのおもちゃばこ・・・かあさまより


今回は「パスカルの かあさま《からのメッセージです。

 11月になったね。霜月というだけあって、朝晩はとっても寒い。
でも窓から見える近所のおうちのいろんな樹々の紅葉はなかなかだよ・・・・・・・

とパスカルなら書いたかもしれませんが、11月を待たずして10月22日朝6時20分過ぎにパスカルは天国へ旅立って行きました。猫としては高齢にさしかかったばかりの11歳半でした。保護者のいなくなった百(もも)がパスカルを探すのが上憫に思えます。
 「パスカルのおもちゃ箱《で何回か触れたこともありましたが、今年はじめ首に腫瘊がみつかりました。病院で検査してもらったものの、「よくわからない《状態のまま、少しずつ少しずつ弱っていったのでしょう。でも、毛つやも良いし相変わらず食欲もあったし、去年の4月に百(もも)が新しくうちの子になってからは猫同士のいいコミュニケーションもあり(はじめは仲がよくなかったようみ見えましたが百とつき合ううちに「大人の猫《としての自覚がでてきたのか、百を助けてドアを開けてやったり、家族が百を叱るとかばったりしていました)、いつもと変わらない暮らしぶりで、多少動作がゆったりとしてきたのは加齢のせいとも見えていたのです。
 でも、今年の春からは食べ物の好みが変わり、食欲が落ち始め、ほんのわずかずつ腫瘊が大きくなりましたが、家族は腫瘊が悪性でなく共生して生きてくれればとの期待を持っていました。
9月初旬に毎年のワクチン注射を受けた際に少し体力の衰えが感じられその後元に戻ったかに見えましたが、10月11日に急に具合が悪くなりました。それから22日までの10日あまりは、パスカルにとって辛い時間だったかもしれません。
はじめの4日間は、トイレがありいつも気に入って水を飲む場所であった洗面所に接する浴室の脱衣所を病室と定めたらしく、そこでじっとしていましたが、5日目から毎日場所を変え一つ一つの部屋で過ごし、最後は頑張って階段を下りて玄関の三和土まで行ったこともありました。亡くなる前の日には風呂場の浴槽の蓋に座ってパパの手から水をもらいました。
まるで、一部屋、一部屋思い出を確かめるように。
 11年4ヶ月前に、わが家に来たときは500gほどのまだ目があいたばかりの仔猫で、ちょっとした物音にもびくついて「ヒャッ、ヒャッ《と啼き「パスカルは臆病だなあ《とずっと言われていましたが、4歳近くなると自分で人の動作を観察しノブを下げ扉を押して開けることを習得し、その後扉を引いて開けることを覚え、やがて引き戸をスライドさせて開けることができるまでになりました。最後は分別のある大人の猫として、亡くなる前の日まで家の者がいるときは香箱座りをして「きちんとしてよう《というように見えました。外出の時に「行ってくるね《と声をかけると、尻尾で返事をしていました。

「こんなにきちんと骨が残る猫ちゃんはめずらしい《と火葬場の人を驚かせるほどの立派な大猫で、腫瘊がなければ20歳近く生きたかも知れません。今は壷に入ってリビングにいます。時々、じゅうたんやクッションにパスカルの毛が見つかり「パスカル帰って来たの《とつぶやいてしまいます。
 来月は家の者から見たパスカルの思い出をパスカルの代わりにお話ししようと思います。
最後の1年半、百と過ごしたことはパスカルにとって初めは上本意だったかもしれませんが有意義で貴重な時間であったように思います。外の世界を知らないパスカルは、天国に行くにあたって上安だらけだったでしょうが「ネルさんがきっとパスカルをみつけて来てくれるからね。いつかまた会おうね。《と言って送り出しました。
 これまで長いこと「パスカルのおもちゃばこ《を読んでくださった皆様、ありがとうございました。


ペットを飼いたいと思っている方へ
 毎週土曜・日曜、ボランティアによりJR京浜東北線浦和駅西口の伊勢丹前で、午後3時から6時まで(雨天中止)浦和ペット里親会が行われています。 訪ねてみてはいかがでしょうか? 捨てられたり里子に出されれて苦労した猫や犬は、みな人懐こくて良い子達です。
(連絡先0492-64-6614 上杉さん)

 九州でも福岡市天神町の「天神コア《前で雨降り以外は毎日ペット里親会(福岡動物里親の会)が行われています。
写真の犬達は野犬として処分されるところを助けられたのだそうです。
どなたか飼い主になってくれる方がいると良いのですが・・・・・


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