7 月 の ネ ル 物 語


 今日7月1日、関東以西は爽やかに晴れ上がり、梅雨の中休みです。 我が家では、これ幸いと布団干しをしました。 予報では梅雨明けまで間がありそうです。 食あたりに気を付けて過ごしましょう。
 さて、先週の朝日新聞埼玉版に、蕨市内で虐待された猫と犬が保護されたという記事が載っていました。 市内の動物保護団体に助けられたそうですが、猫は片目を失明して摘出手術が必要とのことです。 これは弱い物いじめです。 たまたま法的保護の弱い動物が対象とされただけで、いつ子供や老人、ハンディキャップのある人が被害者とならないとは限りません。
 ここ数年、人々の心の荒廃が進行しているのではないかと思えることが多くあります。 大阪の小学生殺害事件は、現代社会に内在する一面が表に現れたに過ぎないのではないかと心配になってしまいます。 いつの時代にもひどい事件はあるものですが、近年はあまりに頻繁です。  人類には地球の支配者としての矜持と自制心が必要です。 弱い立場にある動物を虐待する人の行動に同じ人間として悲しみを禁じ得ません。

 ところで、今の日本のリーダーに不安を感じるのは気のせいでしょうか? 構造改革というかけ声と期待感先行で、改革後の社会の具体的な姿は示されないままです。 改革の内容と痛みの程度も不明確です。 また、斬新な政策の間に衣の陰の鎧では?と思える行動も見えかくれします。 為政者をイメージで全体として評価するのでなく、政策や行動ごとに是非を判断したいものです。

金融論の専門家で宮城大学教授の糸瀬 茂さんが昨日、癌で亡くなったとのことです。
糸瀬さんは、日本の将来を心配して厳く発言し、辛口のコラムを書いていました。 パパは、はるか昔し同級生だった糸瀬さんが健康を回復して、小泉政権の政策について評論するのを聞きたいと願っていたので、残念がって落ち込んだままお通夜へと出て行きました。

 これまでふれませんでしたが、「パパ」の父親が4月初旬に77歳で亡くなりました。(以前登場した「お爺さん」です)地質学者で、大学を退職したあとは趣味に生きる人でしたが、時として鋭い先見性をもって貴重な意見をのべる、家族にとっては大切な人でした。
21世紀スタートの年なのに今年は亡くなる人が多くて残念です。


 今月もネルの遺稿を掲載します。 読んでやってください。


(お爺さんとネル)
 わたしにはお爺さんが二人います。 ママのお父さんと、パパのお父さんです。 二人ともむかし猫を飼ったことがあります。 ママのお父さんが飼っていた猫は「トラ」と言い、わたしと同じ茶トラでした。 甘やかされて育ち、家族の誰よりも威張るオス猫だったそうです。 ママのお父さんは、トラが亡くなった悲しみを忘れることができず、以来動物を飼うことができないでいます。
 パパのお父さんが飼っていた猫はキジ猫で、「ミー」と言いました。 日本がまだ貧しかったころ、家にネズミがいて赤ちゃんだったパパの口についたミルクを舐めるといけないと思ったお爺さんが、ネズミ退治のために職場から連れてきた猫だそうです。
 わたしはミーがどれほど活躍したかを知りませんが、パパがネズミに食べられなかったのを見るときっとなにがしらかの貢献をしたのでしょう。
 どちらのお爺さんにも毎年何回か会います。 ママのお父さんは春か秋に会います。 パパのお父さんとは夏と冬を一緒に過ごすほかにも、たまに我が家を訪問することがあります。
パパのお父さんは、我が家へくると、あまり動かずリビングの椅子にじっと座ってお茶を飲んだりお菓子を食べたりテレビを見たりします。 ママは少し一生懸命になって、お爺さんの好きな食べ物や着替えや新聞を用意します。 わたしは、じっとしている人が好きなのでお爺さんの足下にいって寄り添います。 じきに気づいてくれることもありますが、ほとんどは無視されるので、わたしが「ニャー」というと「おお、ネルが其処にいたか!」と言って食べ物をくれます。 好きなものがないときは、ママに声を掛けて「ネルの好きな物はないかな?・・・」といってもらってくれたりもします。 ママもお爺さんの言うことだと聞くのです。 パパが言ってもこうはなりません。
  お爺さんはタカシみたいにわたしを捕まえたりはしません。 「よしよし」と言って撫でるだけです。 頭を撫でる時に力が強くて困ることがありますが、一瞬のことなのであまり害はありません。
 外に行きたい時はお爺さんの後に着いて行くことです。 タバコを吸ったり、景色を眺めるためにベランダへ出るので、あとに着いて一緒にゆけばよいのです。 お爺さんが歩き出したらついてゆきます。 ベランダの前にいったら、足に寄り添います。 扉が開いたらお爺さんの足にまとわりついて、そのまま外へ出ます。 お爺さんが扉を閉める時には、ふたりとも外にいるのです。 あとは、ママに見つかって捕まらないようにするだけです。
 おばあさんは「お爺さんはネルに軽く見られている。」といいますが、わたしはお爺さんと仲良しなのです。 我が家の家族の帰省が終わり、九州のお爺さんの家から蕨へ戻ろうとするとき、お爺さんは「猫までが行ってしまうのか・・・」と言って、いつも淋しそうに別れを惜しんでくれます。




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