12 月 の ネ ル 物 語


 雨の多かった今年の秋ですが、晩秋になってやっと関東地方らしい晴天がおおくなりました。  世紀末の一年もあと一月弱で終わろうとしています。
 21世紀なんていうと、誰でも宇宙旅行ができるスゴイ時代を想像していましたが、淡々とした時の流れの一コマであることに気づくと少し期待はずれのような気持ちです。
 その一方、鉄腕アトムが使っていたみたいな携帯電話が町中にあふれたり、インターネットで世界中がつながっていたり、ロボット犬が売られていたり、電気屋さんでスーパーコンピュータが20万円で売っていたり、液晶のカラーテレビやプロジェクターが普及したり・・・やっぱりスゴイのかなあ?と思ったりもしています。

 今月もネルの遺稿を掲載します。 読んでやってください。


(ろばパン)
 ママやパパが子供の頃住んでいた九州には、「ろばパン」というのがあって、いろんな種類の蒸しパンを馬車に積んでウマが引いて売り歩いていたそうです。
わたしも、ママとパパの話を聞いて「ろばパン」のことを知っています。 ある日、家族で蒸しパンを食べたとき、その話がでたからです。
 わたしは、ごくたまにバターのついた食パンをかじる以外はパンを食べませんが、一応話には参加しておかないと、タカシが真似をしてわたしに馬車を引かせようなんぞと考えた時に対処のしようがないので、それとなく聞き耳を立てました。
 「ろばパン」は音楽をかけながらゆっくりと馬車を走らせて移動し、各町内の決まった場所へくると、しばらくの間馬車をとめてパンを売るのだそうです。 ゆっくりと走るのですから、買い手が声を掛ければその場で止まって売ってくれることも当然です。 大声で声を掛けると、売り手を兼ねた御者のおじさんが馬車を止めて下りてきてくれるのでした。
一頭だての馬車は、屋根が赤と白の縞模様に塗られ、全体がガラスのショーケースになってたくさんのパンがならべてありました。
 馬は栗毛の大きな馬車馬です。 当時、馬は街中でもさほど珍しい動物ではなくて、道は舗装されていない砂利道も多く、馬の引く荷車もありました。(わたしは、羽田空港行きのモノレールにのったときに競馬場の馬をみたことがあるだけなので、馬がたくさんいたら猫は危なくて街を歩けないと思いました)
ろばパンのパンはカラフルな蒸しパンで、どれも今のメロンパンぐらいあって、子供には一つで十分な大きさでした。
 ママの記憶によると「ろばパン」の音楽には歌詞がついていて「ロバのパンですトンカラリン。 トンカラリンとやってくる。 ロバパン、ロバパン、おいしパンはいかがですー。 チョコレートパンもアンパンも、何でもありますトンカラリン。」というような歌だったのだそうです。 そして年をとった馬が重そうな馬車を引いているのを見ると、楽しいはずの「ろばパン」の歌が少し寂しげに聞こえたそうです。 街中に住んでいたママは「パンを売るために馬車を止めたときウマが糞するので、両親が汚いと言って買ってくれなかった」とか「メロパンは緑色、クリームパンは黄色、チョコレートパンが茶色、アンパンが白、ぶどうパンは白地に干しぶどうが点在していた」とか「最初は袋に入れるのではなくて、包み紙で覆っていたが、そのうち薄手の紙袋にいれて売るようになった」と説明してくれました。 値段は、昔のことで一つ10円とか15円だったようです。
パパは、俺「ろばパン」の店を知っていたぜと言いました。 パパが知っていたのは、お店でではなくて馬車の小屋で、当時パパがすんでいた福岡市の郊外から比較的近い市内の荒江というところのバス通りに面してあったのだそうです。 おかげでパパはよく家の近くを通る「くろばパン」を買ってもらったそうです。
どれも40年近くも昔のはなしです。
 ところがある日、わたしには無関係な遠い所の、はるか昔のロバパンの音楽が聞こえました。
 わたしは耳が良いので、ベランダから聞こえる微かな音でもわかるのです。 蕨でそんな歌が聞こえるはずがないので、最初はママが歌った歌の幻聴かと思いましたが、しばらくしてママもその音楽に気づきました。
あわててベランダに走って行ったママについて行くと、下の通りを赤と白に塗りわけられた小型自動車が音楽を鳴らしながら通り過ぎて行くところでした。


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